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広香先生のデンバー手話体験記 ブログトップ ブログトップ

第4回 ~手話サークルに参加 [広香先生のデンバー手話体験記 ブログトップ]

 デンバーの冬は長い。2月はまだ雪の中での生活となる。

     
             (まだ雪深い3月)

 もうすでに終わってしまったのだが、バレンタインデーは楽しみの行事であり、友人たちとホームパーティーをしたりするのが習慣だ。アメリカでは、M&Mやキットカットなどのチョコレートパッケージがピンク色になり、大袋の中に小さい子袋がたくさん入っているものがスーパーで出回る。ちゃんと名前が書けるようになっていて、From~ To~というように簡単に義理チョコが渡せるようになっているのだ。小学生から中学生はこのくらいの小さいチョコを友達に渡す。もちろん大きなチョコレートも売っているが、見かけは美味しそうに見えても、甘いだけであまり美味しくないものがほとんどだ。
 3月の復活祭(イースター)は、春を感じさせる大きなお祭りで、子供たちが公園や庭で、イースターエッグ(ゆで卵に色とりどりの絵を描く)を拾う。一緒にお菓子が置いてあって、卵と一緒に集めてかごに入れる。春を象徴するイベントのひとつで、卵も春らしく、パステルピンク、ブルー、グリーンで絵をかき飾る。そしてこのイベントの後には、やっと雪が解け、子供たちも庭を走り回るのだ。

     
                  (コロラドの春の山)

 デンバーでベイビーサインを習いだすのとほぼ同時に、私は、手話サークルにも入った。

 600Gilphinというデンバーの市内にある教会で、最初に私が手話をならったJohn先生が手話サークルを開いていたのだ。初級クラスが水曜日。中級クラスが木曜日。
 まずは初級クラスから入り、2年目には初級と中級クラス両方に通った。

     

 最初は基本の日常会話からのスタート。サークルと言ってもテキストを使っての勉強会が中心だが、聴覚障害者も参加しており、手話の読み取りをやったり、情報を教えてもらったりもした。特に面白かったのは、John先生が聾学校の先生もしていたこともあり、様々な工作をさせられたことだ。聾学校の生徒と工作する前に、私たちを生徒に見立てて授業をし、失敗点や改善点を手話で話し合ったりするのだ。
 たとえば、木ぎれと木工ボンド、毛糸、ボタンなどを使って、『自分の家を作りなさい』と言われ、みんなで思い思いの家を作ったりした。「どんな家を思い描いたのか」「部屋のつくりは?」「工夫したところはどこか」などを手話で発表する。雑談ももちろん手話。一切英語は話してはいけなかったので、みんな必死に手話を使って話をした。
 クラスの途中には、必ずドーナツタイムと呼ばれる休憩時間があり、ドーナツやお菓子などを食べながらコーヒーを飲む時間があり、その後はまた再度手話のクラスとなる。
 全体で約2時間のサークルで、本当に充実していた。
 中級クラスになると、もっと通訳に近い実践的なことを学ぶ。手話のビデオをみて、声にだして英語で通訳したり(読み取り通訳)、カセットテープを聞きながら、手話を表現(手話表現)する。
 私にとって中級クラスは本当に大変で、大きな壁にぶつかった。何といっても英語力が必要なのだ。例えば、主格が3人称だと、そのあとの一般動詞にはSをつけるのが当然だが、こういう当たり前のことが、気をつけないと出来ない。読み取り通訳の練習を始めてからは、かなり英語が母国語の人たちに差をつけられたように感じた。その一方で手話表現は、確かに英語を聞き取る(listening)ことは厳しい面もあったが、おおまかに会話の主題をつかむことを、外国人は日々やっているので、表現することはまあまあ出来たように思う。
 また、サークルで一番大変だったのは、指文字の練習の一環で、口形を読み取ることだった。日本手話でも、紛らわしい言葉や大切な言葉は、口形をつけたり指文字をつけたりするが、アメリカ手話も同じだ。そのために、指文字の表現とその読み取りには多くの時間を費やした。これも数ヶ月やっていると意外と慣れるもので、半年後にはかなり得意になっていた。
 しかし、英語の口形は本当に読み取れなかった。英語は、特に口の奥のほうで舌を使って発音することが多い。舌の位置も微妙に異なる。それを外から見分けるのは至難の業だった。いろいろな雑誌をめくりながら、順番に、みんなの前に立ち、単語を発音する。時には2語や3語のときもある。みんなでそれを当てるのだが、発音も得意でない私には、つらい時間だった~。

     

 こうして、手話サークルにも約2年通った。友達もたくさんでき、よく一緒にお茶にでかけたりもした。本当はもっともっといろいろな集まりに参加したかったが、子供がいたので、なかなか参加できなかったのが残念ではあった。
 アメリカ生活も2005年3月には終わり、日本へ帰国することになったため、デンバーでの約2年半の生活もこのサークル活動をもって終わりとなった。
 今思うと、手話という言葉があったので、私は壁を感じることなくアメリカ人の同じ手話仲間と友達になることができたのだと思う。約10年前に練馬区の手話友達と、ワシントンのギャローデッド大学に遊びに行ったことがあるが、全くアメリカ手話が分からなかったので、何人もの聴覚障害者に声をかけられたが、コミュニケーションがなかなか取れずに、残念に思ったことを覚えている。今ならば、私はもっと世界中に友達を作れるような気がする!
 また、アメリカ手話をはじめてみて感じたのは、単語では手話の形は違っても、表現方法は日本手話と似ているということだ。表情の使い方、手話の時制のとり方、空間の使い方などなど、ほとんど同じだったので、自然と身についていることも多かった。

 しばらく子育てに追われ、手話から遠ざかりがちなのだが、これからも多くの人たちと出会いながら、楽しんで手話の世界を広げてゆけたらと思っている。
 
 今回で、デンバー手話体験記は終わり! アメリカで指導してくれた、たくさんの先生と仲間たちに感謝しつつ。

     
  (コロラド 春のマラソン大会 『チェリークリークスネークス』 乳癌の患者さんに対して参加費 $25 が寄附となります)


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長岡 広香(ながおか・ひろか~聴者)

内科のお医者さん。日本で手話の勉強を始めたが、その後結婚し出産。
ご主人の医学活動のため、アメリカで3年間生活を送る。
この間、アメリカ人のネイティブ・サイナーから手話やベビーサインを学んで帰国。
子育てにも役立てた。現在は、つくばの病院の緩和ケア病棟勤務。


第3回  ~ベイビーサイン教室に通う [広香先生のデンバー手話体験記 ブログトップ]

アメリカでは、10月末のハロウイーンは短い秋の終わりを告げる大きなイベント。最近は日本でも、仮装をしたりかぼちゃを飾ったりするが、アメリカではほとんどすべての子供たちが仮装をし、町をパレードする。約1ヶ月前より大きなかぼちゃを畑に取りに行き、自宅の玄関に飾る。そして子供たちは、夕方になると一軒ずつ家を回る。アメリカではこのところ物騒な事件が多いので、町ぐるみでイベントを開催し、教会に家族で集まってお菓子交換をしたり、商店街のお店を一軒ずつ回ってお菓子をもらうなど、ハローウインのお祝いの仕方も変化してきているようだ。

11月に入ると、コロラド州は雪の降る日も多くなり、とても寒くなる。日中は比較的お天気の良い日も多く青空なのだが、夕方5時には真っ暗になる。しかしこの時期、アメリカではクリスマスに向けて、町は華やいでくる。それぞれの家は、クリスマスイルミネーションを始め、それを見て歩くだけで楽しい。大きなクリスマスツリーも至るところに飾られる。人々も、家族や友人にクリスマスプレゼントを買うために、ショッピングセンターに集まる。いつもはほとんどブランド品の買い物をしないアメリカ人だが、この時期は、まさに一年分のものを買い込むらしい。


うちの息子の航太郎も10ヶ月となり、秋から親子ベイビーサインを習いだした。
場所は、デンバー市内の住宅地にある教会の一室。20畳くらいのスペースだ。まずは初級コース。赤ちゃんは6ヶ月から2歳までで、その親も一緒に参加する。1クラス10家族ずつで授業をする。
最初はこんにちはの歌。まずは『Hello, Kotaro(ハロー・コータロー!)』と、一人ずつ赤ちゃんの名前を言いながら、手話をつけていく。教えてくれるのは、手話通訳士であり2人の子供のお母さんでもある女性の先生、ミッシェル。(写真はミシェルと泣き叫ぶ航太郎)

授業の内容は、最初は全体で、その日のテーマの単語を学ぶ。赤ちゃんが飽きないように、また楽しみながらも集中できるように、おもちゃがたくさん出てくる。食べ物を覚える日は、バナナ、いちご、みかんなど、小さいおままごとセットのおもちゃが、ビニールプールの中に入っている。
それをみんなで触り、手話を現しながら、赤ちゃんと会話していく。
「What is this?(これは何?)」 「This is apple.(これはりんごよ)」 という様に。
その後に、部屋の隅においてある、おもちゃセットにそれぞれ分かれ、おもちゃで遊びながらサインをする。例えば、食べ物がテーマならば、台所セットのコーナー、おままごとセットのコーナー、お菓子の書いてある本のコーナーなどに分かれていて、それぞれのコーナーを回って、遊びながら手話の練習、実践をする。


約20分くらい遊んだら、また全体集合となり、中央にサークルを作って、みんなで手話の歌を歌う。『きらきら星』や『こげよ、ボート』などの簡単な歌だ。
最後に、お別れの歌。「Bye-bye Kotaro」と手話で終わりの歌を歌う。
全体で45分だが、赤ちゃんが飽きないように、次々とおもちゃを出してきたり、興味がわくように構成されていて、あっという間に時間が経つ。
航太郎も、おもちゃで遊べて、歌も歌えてとても楽しそう。
机ではなく床で授業したり、自由に動き回る時間や空間を作ったり、様々な工夫を凝らしている。先生自身も、くまの着ぐるみで毎回登場し、くまちゃんが手話をする、という設定になっていた。

ベイビーサインは、アメリカ手話とは関係なく、むしろジェスチャーに近いものを取り入れる人たちもいるようだが、このクラスは、アメリカ手話を使うことが原則。さらに家族でアレンジして、赤ちゃんとコミュニケーションしやすいようにするのは良いという考え方である。ミシェル先生の妹さんが聴覚障害者であり、ベイビーサイン教室を始めるきっかけが、家族中でコミュニケーションを取りたいということだったようだ。そのためアメリカ手話を基礎におき、聴覚障害者とも今後コミュニケーションが取れる方法で、子供が自然と手話を身につけられるようにと、このクラスを始めたらしい。
さらに中級コースでは、動詞も学び、かなりのサインを勉強することとなる。
実際、航太郎は、この教室に帰国するまでの約2年半、ずっと通った。最初は、なかなかサインを示さなかったので私自身少々がっかりしていたが、ある日突然、サインをするようになった。
びっくりするくらい、その日は突然なのだ。
ミルク、おふろ、電気、ありがとう、おむつ、おかし、ねむい、おいしいなどなど。
それからは急にたくさんのサインをするようになったのだ。

体験した私としては、赤ちゃんと一緒に言葉を覚えていく、コミュニケーションをする、その楽しい方法を学んだというのが率直な印象。またサインを使うと、目を見て向き合ってコミュニケーションする、これはとても親子にとって大事なことだなと思った。
もちろん、早くサインを出す子もいれば、ゆっくりタイプの子もいるので、親同士が競争してしまったりすることがある。なるべくその子の歩みに合わせて、無理強いせずに、続けていく忍耐力を持つことが、親にも必要だ。
私にとってこのベイビーサイン教室は、アメリカ手話の基本単語を増やすことができ、さらに子供と一緒に参加できたので、とても良い時間となった。
少し大きくなって、航太郎が手話と出会うときに、どのように感じるのだろうか。
・ ・・楽しみがまたひとつ増えた。
*次回は、アメリカ手話のサークルに参加した体験記です。

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長岡 広香(ながおか・ひろか~聴者)

内科のお医者さん。日本で手話の勉強を始めたが、その後結婚し出産。
ご主人の医学活動のため、アメリカで3年間生活を送る。
この間、アメリカ人のネイティブ・サイナーから手話やベビーサインを学んで帰国。
子育てにも役立てた。現在は、つくばの病院の緩和ケア病棟勤務。


第2回 ~カルチャーセンターでのアメリカ手話体験 [広香先生のデンバー手話体験記 ブログトップ]

アメリカ夏休みはとてつもなく長い。5月中旬から8月末までが夏休み期間で、小中学生はサマーキャンプ(様々な分野の課外活動)や部活動を、高校生や大学生アルバイト旅行をして、思い切り夏を満喫する。
そして、9月は新学期。みんな新しいスタートをきる時期だ。
コロラドも9月はまだ日も長く、夏の名残を惜しむように、夕方は屋外でバーベキューをしたり、ジャグジーに入ったりする。少しずつ紅葉も始まり、木々は黄色に染まる。アメリカの紅葉は日本とは違い、葉は赤くならないのが特徴だ。
私自身の生活も、このころはコロラドで生活を始めて約4ヶ月が過ぎ、やっと車の免許をとり、アパートのテレビ回線もなんとかつながり、行動範囲が広がった。

まずは英語をなんとかしなくてはと思い、いろいろ英語教室を探した。以外とこれが難航した。自分ひとりであれば、英語教室は様々なタイプのものがあるのだが、赤ちゃんがいるとなると、託児所つきのところでないと受講できない。
ベビーシッターは費用もかかるので、なるべくお金をかけずに英語を勉強できないか、と探し回り、やっとDora Moore School(ドラ・モーア・スクール)という小学校に通うことにした。ここでは、朝の9時から11時まで、小学校の一室で、大人向けのESL(English as a second language(第二言語としての英語~母語が英語ではない人のための英語))教室が開かれる。費用は、半年で約60ドル(約7000円くらい)。このESLのプログラムが評価され、市から補助金をうけてクラスが成り立っている。先生はアメリカ人で、とても英語を教えるのが上手なこの道のプロの女性。40歳から50歳代のキャリアウーマン風のかっこいい先生だ。常時15人くらいの世界各国からの生徒たちが集まり、一緒に授業を受けた。赤ちゃんや子供は、一緒に受講することも可能だし、部屋の隅で遊ばせておくこともできる。結局約2年半、週3回このクラスに参加し続けた。

そして、ついにアメリカ手話の初体験の日がきた。
自宅から約10分のところに、Colorado Free University(コロラド・フリー・ユニバーシティ)というカルチャーセンターがあり、そこでアメリカ手話初級講座を受けることにした。
この数ヶ月アメリカに来てからは、日本人の友人や旦那と行動をともにしていたのだが、今日はたった一人。教室の隅に、一人ぽつんと座り、「あ~、日本でも習い事の最初の日は、本当に嫌だよな~」と思いながら、『話しかけないでオーラ』を出していた。
生徒は15人。20歳前後の大学生から、60歳くらいまでのアメリカ人。みんな手話は初めてのようだった。
手話のJohn(ジョン)先生は、聴力が低下しているが、ある音域は聞き取ることが可能。両親が聴覚障害者であり、彼自身、『自分の母国語はアメリカ手話』であり、『native signer(ネイティブ・サイナー)』だと言う。

全部で10回の講座。
最初はあいさつ。アメリカ手話では、Hi~とかYeah!などのくだけた感じで習う。表情のことはあまり言われないが、意外とアメリカ人も表情に乏しい人もいるのでびっくり。
それからABCの指文字。BBQ(バーベキュー)、CD、TV、DVD、OK、WC(トイレ)なども練習する。ひたすらひたすら練習。あいうえお、に比べると圧倒的に覚える数は少ないのだが、読み取るのはとても難しかった。日本と違って、口形をつけない人が多いと感じた。
それから数字。すごく難しい~。お金の単位や感覚もぜんぜんちがう。たとえば、100万円だったら、日本手話だと百+万+円。アメリカ手話だと1+million(ミリオン)と表現する。
後半の5回くらいの講座で、簡単な名詞、動詞を習う。それを使って2人1組で作文し、表現と読み取り。いわゆる日本手話を最初に習うのととても似ていた。
10回でこの講座は終わり、少し友達もできてきた。もっと単語を増やさないといけないなと痛感し、そのあとどこで手話を続けて勉強したらいいのか、みんなどうするのか、と聞いてみた。
大学生の人たちは、大学の中でもアメリカ手話の講座があるところもあり、サークルに入るということだった。デンバー市内の社会福祉学科のある大学では、手話通訳士になるカリキュラムもあるようだ。しかし、もちろん大学に入るには試験が必要。費用も莫大。

そこで、カルチャーセンターのJohn先生に相談し、1ヶ月に1度、土曜日に聴覚障害者で開いているランチに参加させてもらうことにした。
ランチには、聴覚障害者15人くらいと手話を習っている健聴者10人くらいがいて、ショッピングモールでランチをしながら、お話する会だった。
手話も英語もたどたどしいのだが、無理やり参加させてもらった。でも日本人ということもあり、みんな興味をもってくれて、日本の手話を教えたりしながら、楽しく過ごした。そこでできた友人に、デンバー市内でやっている手話サークルの情報と、ベイビーサインの情報をもらったのだ。ベイビーサインか~。赤ちゃんと一緒に参加できて、手話も学べるなんて、これは一石二鳥かも!
さっそく、次なるチャレンジはベイビーサインに挑戦することに決めた。
そしてこの最初の手話講座でできた友達は、私の唯一とも言えるアメリカ人の友人となり、週に2回いろいろな情報交換をしたり、お茶をしたりすることになった。

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長岡 広香(ながおか・ひろか~聴者)

内科のお医者さん。日本で手話の勉強を始めたが、その後結婚し出産。
ご主人の医学活動のため、アメリカで3年間生活を送る。
この間、アメリカ人のネイティブ・サイナーから手話やベビーサインを学んで帰国。
子育てにも役立てた。現在は、つくばの病院の緩和ケア病棟勤務。


第1回 ~アメリカの地に降り立つ! [広香先生のデンバー手話体験記 ブログトップ]

今から約4年前、2002年の春、私はアメリカ合衆国コロラド州のデンバー空港に降り立った。
ここから3年間のアメリカ生活が始まる。

     

コロラドは、アメリカの中西部に位置し、ロッキー山脈とそのふもとの町で構成される。
中西部というと、乾燥しきった土地を思い浮かべるかもしれないが、
周囲の荒涼とした地域と比べるととても緑が多く、アメリカ人に
カラフル・コロラド』と言われるくらい四季を感じることができる。
ご存知の人も多いが、ボールダーという隣町には、マラソンで有名な
高橋尚子選手が住み、ここで高地トレーニングをしている。

夏は国立公園が州内や近隣の州に多いため、ハイキングをする人たちであふれ、
冬には、州内の全米屈指のスキー場に人が集まる。空気と水と緑のとてもきれいなところだ。
今振り返ると、この大自然が懐かしいが、アメリカでの日常生活は
ハイキングばかりしているわけにはいかず、それはそれは難題も多く大変であった。

     

英語もたどたどしいのだが、それでも何とか生活を立ち上げなくてはいけない。
まずは、アパートの契約。そして銀行の口座の開設、電話線をひく、テレビのケーブルをつなげる、
車の免許をとるなどなど。うまくいくこともあれば、一筋縄にはいかないことも多かった。
しばらくは、電気のない部屋で、テレビもなく、近くのスーパーで買った、
とてつもなくでっかいチキンを夕食に、日没とともに眠る生活も続いた。

何といっても言葉の壁は厚い。スーパーで、レジ係の人に「paper or bag?」と聞かれ、
何のことかさっぱり分からずに、1ヶ月くらい笑ってごまかしていた。しばらくして、
紙袋に入れるか、ビニール袋に入れるのか、と質問されているのだとやっと分かったりもした。
こんな日常の中で、「せっかく時間は山ほどあるのだから、何かしたい!」という気持ちが
湧き上がってきた。

     

ある日、スーパーの入り口にある、様々な無料情報誌の中に、
『Colorado Free University(コロラド・フリー・ユニバーシティ)』という雑誌を見つけた。
いわゆるカルチャーセンターの情報誌だ。その中に、“ASL(アメリカ手話)の基礎”という
小さな募集を見つけたのだ。先生の名前は、John Elstad(ジョン・エルステッド)、
デンバー出身のnative signer(ネイティブ・サイナー)。約10年手話の指導をしているとのこと。
10回の講座で80ドル(日本円にして1万円弱)。これはいい! と早速申し込みをした。

こうして、毎週1回夕方からの約2時間、カルチャーセンターでのアメリカ手話勉強作戦が
始まった~!!

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長岡 広香(ながおか・ひろか~聴者)

内科のお医者さん。日本で手話の勉強を始めたが、その後結婚し出産。
ご主人の医学活動のため、アメリカで3年間生活を送る。
この間、アメリカ人のネイティブ・サイナーから手話やベビーサインを学んで帰国。
子育てにも役立てた。現在は、つくばの病院の緩和ケア病棟勤務。


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